カルフォルニア・デザイン1935-1965を見て、日本を思う

現在国立新美術館で開催中の、カルフォルニア・デザイン1935-1965を見てきました。副題は、「モダンリビングの起源」です。確か会期は6月3日(月)まででした。あと少ししかないので、気になる方はお急ぎください!

■ウェブサイト
カルフォルニア・デザイン1935-1965

カルフォルニア・デザインとは?

20世紀初頭から多くの移民を受け入れてきたカリフォルニアは、第二次世界大戦後、世界一の経済力を誇る大国アメリカの大衆文化の中心として飛躍的な発展を遂げました。急激な人口の増加に伴い、住宅や生活空間への新たな需要が生じたカリフォルニアでは、戦争に際して開発された新たな素材や技術を有効活用した、大胆かつ実験的な独自のデザイン活動が展開されます。

※引用:カルフォルニア・デザイン1935-1965ウェブサイト

<展示をみて私が覚えている事メモ>

第二次世界大戦後、爆発的な需要増に伴い、戦時中に開発された新素材を日々の生活の中にどう活用していくかについて、様々なデザイナーが取り組んだ結果、カルフォルニアのデザインは一大ムーブメントとして世界に認知されました。

また、当時は一部の裕福?な層にしか手が届きにくかった「デザイン」を価格を抑え一般化していこうと言った流れもあり、その試行錯誤の中で後世に残る名作が数多く生まれました。

あの有名な、チャールズ・イームズ、レイ・イームズ夫妻も成型合板の技術を駆使して、一般に手の届く、モダンデザインの製品を大量生産する事に成功し、一躍有名になりました。

それだけ、あの時代のカルフォルニアは、時代背景も、風土的にも独特のデザインが発達する土壌がそろっていたという事です。
※カルフォルニア・デザイン1935-1960のサイトより

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カルフォルニア・デザインと日本の住環境を考える

カルフォルニアでは人口が急増する中、1世帯あたりの居住スページは限られており、そこをいかに広く見せるかと言った工夫がなされたとの事でした。

その点では、日本の賃貸やマンション事情に通じる物があると思います。その結果、リビングとダイニングを一体化させ、壁を無くし空間全体の流れを作るスタイルが主流になっていったそうです。

その事を展示を通して知って、とても理にかなっていると感じました。「狭い空間を広く見せたい」とてもシンプルかつ合理的な思考です。一方日本の賃貸やマンションに目を移してみると、なんであんなに狭い空間なのに、細かく壁で部屋を仕切っているのか疑問に思います。生活習慣やプライベート空間の意識の差もあると思うのですが、状況は共通する部分もあるはずなのに、これほどまでも違うのはやはり文化の違いなのではないでしょうか。

リノベーションブームと合わせて考える

最近中古マンションをリノベーションして住むライフスタイルが様々なところで取り上げられていて、話題になっています。ありものの住空間に満足できなくなった人達が多くなってきたという事でしょうか。背景には、日本の不動産業界の複雑な事情もあると思います。が、そこらへんは分からないので省きます。

直感ですが、このような波が着ている状況で、カルフォルニア・デザインはおおいに参考にすべき点があると感じました。

・狭い住空間を広く見せる合理性
・コストを抑えた新素材、製造方法

大きく分けると上記の2点です。1930年-1965年のカルフォルニアに比べたら、建築の技術や素材の革新はそれはそれは比べられないほど進んでいるのだと思います。

もし本当にそうだとしたら、日本でもカルフォルニア・デザインの過去の盛り上がりと同様に、これからどんどん新しい住空間や、インテリアのスタイルや、その分野の巨匠達が生まれてくるのではないでしょうか。そう考えるとなんだかワクワクしてきますね!

モダンリビングのスタイルと、合理化、そして根底にある日本の良さをうまく組み合わせて、日本の一般的な住空間を世界に通じるデザイン性の高いものに出来たら、それは本当に誇らしい事だと感じました。

書いた後にちょっと思った事

おい、でもちょっと待てよと、素材や、生産方法の合理化、デザインの一般的な普及はもうある程度済んだ話で、話は次の段階に進んでいるのではないか?という事です。

確かに、一時期話題になった、FranceFranceや、無印良品などある程度デザイン性があり、高品質で価格が手頃な商品は普及しています。加えて、リノベーションの流行とともに、建築家の方とコラボした住宅なども広まりつつあります。

そう考えると、合理化とデザインの融合というテーマは今の時代においては、押し進めるべきというには、的外れな気がしてきました。

ちょっと長くなってしまいましたが,そういった視点で、カルフォルニア・デザイン展の事をもう一度よく思い返してみると、大事な視点を1つ忘れていた事に気づきました。

それは「作り手の情熱です」。

まだ手法が確率されていない時代に、人々の生活を少しでも豊かにしようと言う作り手の情熱が、合理化された物の中にも込められているのではないでしょうか。そういった視点で、今の製品と比べてみると、過去のそういった物に及ばないと言わざるを得ないと思います。

消費する側の人にも、「この値段でこれだったら上出来!」といった満足感の裏にどこか「あきらめ」が確実に存在するのではないでしょうか?そこを絶対にあきらめない。あきらめたら、そのあきらめは確実にその物を使う人に伝わってしまいます。

あきらめられた物に囲まれて生活するなんて誰でも嫌ですし、逆に考えると作り手の情熱いっぱいの物に囲まれて生活できる事は、日常におおくの幸せをもたらしてくれるのだと思います。

僕も近い将来必ずそういった作り手になりたいと決意を固くした次第でございます。長文失礼いたしました!